夕方の台所でオクラを小口切りにしていたら、まな板の上に小さな星がいくつも並んでいた。そんなことはありませんでしたか。レンコンの穴、輪切りのキウイ、半分に切ったトマト。毎日のように目にしているのに、手を止めてじっと眺めることは、案外ありません。
中心がひとつあって、そこから外へ向かって、同じかたちがくり返し広がっていく。曼荼羅と呼ばれるかたちは、遠いお寺の中だけでなく、台所や庭先にもちゃんとあります。ここでは宗教の話から少し離れて、身近なかたちとして「マンダラ」と書いていきます。
今夜の夕ごはんの支度のあいだに、ひとつだけ断面をのぞいてみる。それくらいの気持ちで読んでいただければ、じゅうぶんです。
1 野菜に見る曼荼羅(マンダラ)
あなたのお家には、どんなお野菜がありますか?または、どんな果物がありますか?
例えば、今晩は、キュウリを輪切りにして、サラダを作るとしましょう。
スライスした断面を見てください。素敵な模様が現れませんか?
キウイフルーツを横にして輪切りにしたことは、きっとあるでしょう。中心から放射状に小さな黒い種が並んだ、不思議な模様があらわれます。
これだけに限ったものではありません。
2 花に見る曼荼羅(マンダラ)
お家にお花がありましたら、その花を上から覗き込むように見てください。
お野菜とはかたちが違いますが、中心がひとつあって、外に向かって花びらが広がっています。じっくり見ると、とても不思議な美しい姿です。
まさにマンダラです。これを並べていくと、自然界が作り出した芸術作品が並びます。花びらの数はそれぞれですが、3枚、5枚、8枚が多いようです。あなたの側にあるお花は何枚の花びらで構成されているでしょうか。
3 曼荼羅(マンダラ)の基本形とは
「マンダラ」という言葉には、「円」や「輪」という意味があります。つまり、基本のかたちは「円」なのです。
仏教の世界にも、こんな訳語があります。
日本の密教では、マンダラを「輪円具足(りんえんぐそく)」と訳してきました。
「丸くて、何ひとつ欠けたところがないもの」という意味です。マンダラの本質を、よくとらえた訳だと思います。
3−1 曼荼羅(マンダラ)の形に丸が多い訳
実は、現実のマンダラは、「丸」ばかりではありません。四角いタイプのものも存在します。それでも、マンダラの原点は「円」や「輪」にあったと考えられています。
昔の人は、地面に円を描いて、その内と外を分けました。
円の内側を、祈りや儀式のための特別な場所にするためだったと考えられています。日本の言葉でいえば「結界」に近いものです。
4 美しさの数の規則
私たちが「美しい」と感じるかたちには、数の決まりごとが隠れていることがあります。先ほどの花や野菜に見られる、まるで誰かが設計したような決まりごとを見ていきます。
4−1 美しさの数列
「フィボナッチ数列」という言葉を耳にしたことはありますか?
この数列には、一定のパターンとリズムがあります。
「1、1、2、3、5、8、13、21、34、55・・・・」というふうに続いていくのです。
最初の数字と2番目の数字が足し合わされて3番目の数字になり、2番目の数字と3番目の数字が足し合わされて4番目の数字になる・・という具合に続いていきます。
先ほどの花びらの3枚・5枚・8枚も、この数列の中にあります。花びらの枚数には、フィボナッチ数が多く見られるのです。
この数列は、インドでは古くから知られていました。
ヨーロッパに広まったのは、1202年にピサのレオナルド(通称フィボナッチ)が『算盤の書』で紹介してからです。
この数列の中には、ある比率が隠れています。
フィボナッチ数を、ひとつ前の数で割っていくと、その答えは 1.618… という、どこまでも続く数に近づいていきます。
この比率が「黄金比」です。ギリシャ文字の φ(ファイ)で表されることもあります。
4−2 黄金比とは何か?
黄金比とは、1:1.618…の比率のことを言います。身近なところでは、名刺の縦と横の比も、黄金比に近いと言われます。
この比率は、美しさや落ち着きを感じさせるかたちとして知られています。ギリシャのパルテノン神殿や、ミロのヴィーナスにも黄金比が見られる、という話もよく紹介されます(どこを測るかで変わるので、異論もあります)。
そして、私たちの近くで美しく佇んでいる植物にもこれが見られるのです。
例えば、松ぼっくりです。
底からのぞくと、かさが右回りと左回りのうずを描いて並んでいるのがわかります。そのうずの本数を数えると、8本と13本のように、隣り合うフィボナッチ数になっていることが多いのです。
ひまわりの種の並びや、とがった塔が連なったような野菜「ロマネスコ」にも、同じ並びかたが見られます。
もっと大きなものにも、目を向けてみます。
オウムガイの殻や、宇宙の渦巻銀河にも、美しいらせんが見られます。これらが黄金比そのものかどうかは意見が分かれますが、小さな種から大きな銀河まで、らせんのかたちがくり返しあらわれるのは、不思議なことです。
誰が設計したわけでもないのに、と思わず見入ってしまいます。
5 まとめ
子どものころ、公園で拾った松ぼっくりを、ひっくり返して底からのぞいたことはありませんか。かさが右回りと左回りにぐるぐると並んでいて、指でなぞると、どこまでも回っていけそうでした。誰に教わったわけでもないのに、あのかたちを「きれい」と感じていたのです。
花びらの枚数も、松ぼっくりのうずも、誰かが設計したわけではありません。それでも、そこには静かな決まりごとがあって、私たちはそれを見ると、なぜか落ち着きます。数字を覚えておく必要はありません。「きれいだな」と思った、その感じだけでかまいません。
晴れた日に、松の木のある公園を歩いてみてください。足もとの松ぼっくりをひとつ拾って、手のひらにのせてみる。大人になってからのぞく底のうずは、子どものころより、少しゆっくり見えるかもしれません。
美しいかたちは、立ち止まった人にだけ、そっと見えてきます。
そういう時間のつくりかたを、林浴(りんよく)と呼んでいます。


