洗濯物を取りこもうとベランダに出たら、思いがけず大きな月が出ていて、手を止めてしばらく見上げてしまった。そんな夜はないでしょうか。
月は、およそ29.5日かけて満ちては欠け、また満ちていきます。昔の日本では、この満ち欠けがそのままカレンダーでした。「ついたち」も「みそか」も、もとは月の姿を表す言葉です。
月のヨガや月のハーブティーなど、今も月にまつわる楽しみはたくさんあります。けれど、それよりずっと前から、人は月を見上げてひと月の無事を感謝したり、暮らしの区切りにしたりしてきました。ここでは、そんな月の暦と昔の人の暮らしを、少したどってみます。読み終えたら、今夜の月がどんな形か、窓から確かめてみるくらいでかまいません。
1 暦のこと
こんな巡りはご存知でしょうか?
暦には種類があります。
太陰暦
太陽暦
太陰太陽暦
すでにご存知のことでしょうが、地球の1日は、24時間です。月が地球の周りをまわるのは、およそ29.5日。
地球が、月を引き連れて太陽の周りをまわるのは、365日。
暦という巡る時間は、地球・月・太陽の三つの天体によって成り立っているのです。
1−1 太陰暦
月のリズムのみで作られる暦のことを言います。イスラム圏では、現在も使われています。ひと月は、29.5日なので、これに12を掛けると354日になります。12日ほど日数が少ないわけですが、太陰暦は太陽の巡りとはお構いなしに時を刻みます。
1−2 太陽暦
太陽のリズムのみで作られる暦のことを言います。現在、世界で一般的につかわれているのが、これになります。
つまり、西暦・新暦のことを言います。月の巡りについては、全く導入されていないのです。
1−3 太陰太陽暦
月のリズムを基本とする暦になります。しかし、太陽の一年を表す節目を二十四節気という形で含み、お月様とお日様の暦になります。
ここでの一年の始まりは、立春(西暦2月4日/2月5日のこともある)に最も近い新月になります。
1−4 月暦というのもある
“月暦”というのがあります。実は、これは150年以上前の1872年に公式には廃止されました。それでも、農村などの民間では長く存続していました。
この暦を知っている方もいますし、月暦でしか理解できない流れや言葉や事柄があるのです。
2 月の暦の言葉
月の暦には、美しいキーワードがあります。そして、この美しい日本語を聞くと、日本って素晴らしいな・・と感じることでしょう。
たくさんある中で、節目を表すのに、とても大切な一例をご紹介しましょう。
2−1 ついたち
月暦を見ると、1日目のところに「朔」と書いてあります。音読みでサクと読みますが、訓読みでは、ついたちと読みます。
朔は、「さかのぼる」とか「よみがえる」という意味を持つとされる言葉です。
月暦のついたちというのは、太陽・月・地球が一直線に並んだ状態のことです。したがって、月が全く見えない「新月」のことなのです。
ついたちというのは、もともと「春が立つ(立春)」というのと同じで、「月が立つ」・・・つまり、三日月のような、初めて見えた月を意味していたと考えられています。
例えば『日本書紀』などでは、朔をつきたちと読ませている表現もあります。別のところでは、「月生」と書いてつきたちと読ませているものもあります。
月が生まれる=つきたちなのです。
ついたちとは、「月が新しく生まれる」という言葉なのです。
2−2 晦日
月暦では、月の最後の日(29日か30日)に“晦日”とあります。意味は、「暗い」ということです。つまり、月のないことを言います。
「晦日に月」という言葉をご存知でしょうか?これは、「ありえない」ということを表します。新暦になってからは、月末の夜に月が出ていることも珍しくなくなり、この言葉は意味を失ってしまいました。
「晦」という言葉は、つごもりとも読みます。語源は「月籠り(つきごもり)」とされ、月が隠れる、という意味がはっきりしています。
3 月の文化
昔から月の巡りとともに暮らしてきているという文化が、日本にはあります。
とある地方には、こんな素敵な文化が言い伝えられているのです。
3−1 三日月信仰
長野県南佐久郡にあった、三日月にちなんだ作法があります。
毎月の三日月の時に、前月の無事に感謝の気持ちを示すとともに、新しい月の無事を祈る・・というものです。
その内容は、次の通りです。
月の出た西方に向かい、庭で松の葉を一掴み焚く、というものです。月が見えない時は諦めて、見える日を待つのです。
3−2 月と水の戯れる日
鳥取の用瀬というところでは、「流し雛」の行事が今もなお月暦3月3日に行われています。雛人形を飾るのではなく「流す」ところに、、行事の本来の意義が引き継がれています。
それは、水と親しい関係で、水と遊びながら古い汚れを綺麗にし、新鮮な生命を得ようとしたのがこの行事の意義だったと考えられています。
節句というものは、もともとは、人間の生命力・浄化力を崇めた印のように考えられています。月が母体となって、水という子を生み出す・・・というような言い伝えが、あちらこちらに残っています。
4 まとめ
子どものころ、夜道を歩いていたら、月がどこまでもついてくるように見えて、不思議でしかたなかった。そんな記憶はないでしょうか。
電気のない時代の人にとって、月は夜道を照らす灯りであり、今日が何日かを教えてくれる暦でした。三日月の夜に松の葉を焚いて、ひと月の無事を感謝する。雛人形を川に流して、古い汚れを水に託す。どれも、空と水と季節をよく見ていた人たちの、暮らしの記録です。
今は、日付はスマホが教えてくれます。月を見上げなくても、困ることはありません。だからこそ、ふと見上げた夜のことは、不思議と覚えているものです。
昔の人が月の満ち欠けで季節を知ったように、近所の木も、芽吹きや色づきで季節を知らせてくれています。月を探して空を見上げる数十秒と、木の下で立ち止まる数分。どちらも、何かをしなくていい時間です。
そういう時間のつくりかたを、林浴(りんよく)と呼んでいます。


