曼荼羅の原型は「円型または輪」を形取っています。
なぜ「円」なのか、そして「円」という形に深い意味はあるのか、さらに人々の在り方や願いがそこには込められているのか・・それを探っていきます。
丸い地球に生きて住んでいる私達です。
丸とか円は、あまりに当たり前のようなのですが、丸や円に、不思議があることに気を止めて見てはいかがでしょう。不思議で美しい世界、そして地球を知ることになります。
1 丸や円という形
「丸・三角・四角」という図形は、ジオメトリーモチーフ(幾何学模様)といいます。この形は、古代ギリシャで生まれ、その後世界中に浸透していきました。
この3つの形の中でも、丸は、曼荼羅がこの世に派生したきっかけになる形なのです。この形は、始まりも終わりもないので、完全性・永遠・完璧さというものの普遍的な象徴となります。また、生のサイクルを示すものでもあります。
まず、丸を円としても捉えることができます。
円というモチーフは、古代から宇宙を表しているのだと解釈されていました。
2 社会形態と丸と円
私たち人間は、個々が集まって、コミュニティーを組織します。
それを「輪」を作るとかいう表現をしたり、「円陣を組む」ということで表現したりします。
つまり、コミュニティーとは、丸く、円形なのです。
例えば、ダンスをする時に輪を作ります。輪になって遊ぶ子供達もいます。そして、その「輪」に入りたい・・・と感じた経験もあるでしょう。
「丸」とか「輪」とか「円」は、心を惹く形でさえあるのです。
サークル活動という表現も聞いたことはありますよね。サークル、つまり「輪」のことを言います。その輪の中で活動することというのは、個人で活動するそれとはかなり異なり、それまでになかったエネルギーさえも生み出すのです。
言葉を使って表すならば「平等性」や「一体感」「協力」を提供する場であるということです。
3 文化にある円形
古代から、円といという形は、神々とのつながりの強いものでした。
たたえば、ローマのパンテオン(紀元前25年 神々を祀る民枝に建てられた、完全な球体の神殿)があります。
神に仕える立場の人も、この形に魅せられました。ベネディクト会の尼僧ヒルデガルトです。自身の神秘体験を精妙な曼荼羅にして表しました。
ヒンドゥー教や仏教でも、それぞれの伝統的な手法を用いて、古来より曼荼羅が描かれ続けています。
また、民族ではネイティブ・アメリカンが描く曼荼羅状の砂絵は、治療の儀式に用いられ、ナバホ族の陶器や籠細工などには、曼荼羅様のデザインが施されているのです。
ケルトの結び目模様には、生命の永遠性と人間・植物・動物・神とのつながりが表されています。
丸の中や円の中には「神がいる」とか「神そのもの」を表す・・そういうものだったのです。
4 迷宮とその意味
迷宮のことをラビリンスと言います。これもまた曼荼羅の一つと言える形になります。
さて、この迷宮・・なぜ存在し、どこが出発点なのでしょう?
ラビリンスという名称は、ギリシャ神話に由来しています。
アテネの熟練工ダイダロスが、クレタ島のミノス王に依頼されて作った、入り組んだ道がこれになります。正式名称は、ラビュリントス。
これを作った理由というのは、顔が牛でからだが人間、という怪物ミノタウロスを捕えるためでした。
結果的にミノタウロスは、迷宮内で殺されてしましました。
このように、ラビリンスの始まりは悪霊や悪魔を封じ込める罠・・・という意もありました。
世界のあちらこちらに見られるこのラビリンスは、スペインのポンテヘドラや、ケルト、ギリシャ、ミノア、エトルリア、バビロニアにて見ることができます。
4−1 心の中の迷宮
やがてラビリンスは、神や救い、そして悟りの探求を象徴するものとして捉えられるようになってきました。
中世においては、ラビリンスは、神に至る旅であり、神である中心に通じるものの意味となりました。
私たちは、生きていく上で、様々な迷いに遭遇します。そして、勇気を失くしたり、絶望に陥ったりもします。そんな時、本来の道から外れてしまう・・・そんなことも少なくはないでしょう。
そんな困難や心の迷宮の先に、「愛とゴール」が待っている・・・それが、ラビリンスの本当の意味なのです。
ラビリンスの中で、もがき苦しんでも、いつか乗り越えていけば、いつかたどり着く本当のもの。ラビリンスは、人生そのものをも表してる形なのです。
5 丸を生きるということ
人間の一生をライフサイクルと言います。
これは、人間に限らず、この世の生きとし生けるものに共通するものです。
例えば、植物は大地に蒔かれた種から始まります。
種は土や地球、太陽によって成長し、花を咲かせて実をつけると、やがて枯れていくのです。枯れた植物は、大地を肥やし、そこから新たな命が育まれていきます。
人間も、生まれると成長し、大人になり、生殖期間を経て、老齢期に入り、やがては死を迎えます。
仏教やヒンドゥー教では、死で終えると輪廻を通して循環するという考えがあります。
ここでは、人間のライフサイクルとは、曼荼羅であり、円の中心で生まれて、放射状に外に向かって生きて、死で再び円の中心に戻ることを意味しているのです。
生きているということは、やがて死を迎えることになります。しかし、人はそれまでになすべきことがあり、残せることがあります。
残せることは、偉人に限りません。
ある人や、あるものの中にささやかでも残して、次につないでいく・・・これが、美しい人間の曼荼羅的ライフサイクルなのです。
6 まとめ
曼荼羅とは、命とともに存在しています。
人種を超えて、すべてをつなぐものでもあります。
「尊い」ものです。
私たちの中に、存在し、私たちは曼荼羅とともに生きている・・・それを意識してみるのも良いのではないでしょうか?
円や丸の中に、壮大なものがあるのです。