曼荼羅(マンダラ)はどこで生まれた?──起源と、密教での使われかた

お寺の薄暗いお堂で、壁にかけられた大きな絵を見上げたことはないでしょうか。たくさんの仏さまが、きちんと区切られた枠の中に、びっしりと並んでいる。細かすぎてどこから見ればいいのかわからないまま、なんとなく手を合わせて出てきた。

曼荼羅(マンダラ)と聞いて多くの方が思い浮かべるのは、あの密教のお寺の絵かもしれません。けれど、あの絵がどこで、何のために生まれたのかは、意外と知られていません。

この記事では、マンダラが生まれた場所と、密教のお坊さんたちがどう使ってきたのかを、できるだけかみくだいてたどってみます。知ってから見ると、あのびっしり並んだ絵が、少し違って見えてくるかもしれません。

1 曼荼羅(マンダラ)が生まれた場所

マンダラとは、密教が、大きくは宇宙の構造から、小さくは私たちの心とからだの構造までを、目に見える形で表すために生み出した図像や立体造形のことです。

そして、マンダラの発明された場所は、古代インドになります。

もう少し、具体的にいうならば、マンダラの基本形は、6〜7世紀にインドで開発されたと言われています。

その後、10世紀までに急速に発展しました。今、私たちが目にする、複雑極まりない形というのは、発展したのちの姿になります。

1−1 曼荼羅(マンダラ)の見られる地域

現時点での、マンダラの見られる地域というのは、次の通りです。

・日本密教とチベット密教
・ネパール仏教が活動している地域

国や地域で言うと、日本・チベット・モンゴル・ブータン・ネパールあたりになります。

かつては、他の地域にも見られていました。
たとえばインドネシアのジャワ島東部にあるボロブドゥールは、極めて大規模な立体曼荼羅の遺跡です。

1−2 曼荼羅(マンダラ)の開発された意図とは

マンダラの開発には、意図がありました。マンダラを利用して、密教的な悟りを体験するためです。

その悟りとは、宇宙と自分自身が本質的には同じものだということを、からだで知ることでした。

密教にとって、宇宙は究極の仏なのです。すなわち、大日如来とほぼ同じ関係とみなされています。
ということは、自分と大日如来が本質的には同等であるという認識になるのです。

2 曼荼羅(マンダラ)のメインテーマ

マンダラには、宇宙の構造から心身の構造まで描いていながらも、「死」はそこに描かれていないのです。

マンダラの外側の枠に、墓場を描いたものもなくはないのですが、それは中心から離れた場所に置かれています。

「死」はメインテーマではないのです。

他の仏教美術と比較しても、生の領域が断然多いのです。

それは、マンダラが向いているのが「どうしたら悟れるか」、そして「悟ったあと、どうやって他の人を救うか」という、生きている者の道だからです。

3 曼荼羅(マンダラ)という言葉を読み解く

言葉としての「マンダラ」は、古代インドの古典語であるサンスクリット語です。
意味としては、「円」とか「輪」になります。
ただ、丸とは限らないマンダラも多く見られます。特に、日本のマンダラについては、四角が多く見られたりもします。

さて、マンダラを紐解いていくと次のようなことがわかったりするのです。
マンダラという言葉は、「マンダ➕ラ」に分解できます。マンダは「本質」、ラは「備えるもの」という意味もあります。

つまりは、悟りの境地を示したものになります。

ちなみに、マンダラは漢訳で「輪円具足(りんえんぐそく)」とも訳されます。
この意味というのは、「丸くて何一つ欠けたところがない」という意味なのです。

マンダラの基本は、やはり「丸」になるということなのです。

4 密教における曼荼羅(マンダラ)の定義

マンダラの成り立ちを研究した人のなかには、「仏教で信仰される尊格を一定の幾何学パターンに配置することで、仏教の世界観を表したもの」と定義している人もいます。

わかりやすく、マンダラが持つ機能に注目した時、次の通りとなります。
① 仏菩薩や神々、もしくはそのシンボルが配置されていること。
② 仏菩薩や神々が住む場所があるところ
③ そういうマンダラを見ている人間がいること。

5 曼荼羅(マンダラ)の要素

この3項に対して、丁寧にわかりやすい解釈を加えると次のようになります。

❶ ①を具体的にすると、仏菩薩は聖なる存在になります。したがって、マンダラは聖なる存在から構成されていることになるのです。
または、こういう言い方もあります。マンダラは、聖なる空間なので、俗な空間ではないということです。

❷ ②を具体的にするとマンダラは仏菩薩や神々が居住する家や宮殿が欠かせないということです。

❸ ③を具体的にすると、マンダラは単なる絵画ではないということになります。
マンダラを見て、瞑想するなり、礼拝するなり、「その中に入りたい」と願っている人間がいて、マンダラはマンダラとして機能するのだと言っています。
これを別の表し方をすると、マンダラは、あくまで密教の修行のための図像であり、立体造形ということなのです。

6 密教僧の曼荼羅(マンダラ)の使い方とは

密教のマンダラは、宇宙の縮図という解釈は、密教の中にもあります。
と、同時にこのマンダラは、人間の心の構造図でもあるのです。

その理由は、密教では、宇宙と個々の人間は、本質的に同一だと見られているからです。これは、どういうことかというと、この世の森羅万象が、仏の現れであって、この世に意味のないものは何一つない・・・という真理が込められているのです。

この真理を体得できれば、人間は生きる意味を見出せるはずだ・・ということなのです。

ただ、実に難しいことなのです。

そこで、僧侶たちは、マンダラを利用して瞑想修行を行っています。

マンダラを前にして、「三密加持」といって手に印を結び、口に真言を唱えて、心に仏の姿を思い描くのです。

そして、深い瞑想に到達し、自らの心身をマンダラの中に移入していくというものです。すると、いつしかマンダラの本尊に変容し、マンダラの中の仏菩薩を本尊=自分が産出したという認識に到達するのです。

瞑想修行を体得した密教僧は、自分=仏菩薩=森羅万象=本尊(大日如来)という方程式を体得したことになります。

この世にある、ありとあらゆるものが持つ、かけがえ無き意味を悟ることができるのが、最終的に体得するものなのです。

7 まとめ

マンダラの起源をたどっていくと、その真ん中にあるのは「自分と、自分をとりまく世界は、別々のものではない」という考えかたでした。密教のお坊さんたちは、それを長い修行で確かめようとしてきました。

私たちには、そこまでの修行はできません。けれど、似たような感覚なら、どこかで味わったことがあるかもしれません。夏の夕方、川べりで風に吹かれていたら、自分と景色の境目がふっとあいまいになった。木の下に寝ころんで枝の広がりを見上げていたら、時間を忘れていた。

マンダラは、修行の道具であると同時に、そういう感覚を図にしようとした先人の記録でもあります。お寺でマンダラを見る機会があったら、細かいところを読み解こうとしなくてかまいません。帰り道に境内の木を見上げて、少し立ち止まってみる。それだけでも、あの丸い世界の入り口に立っているのだと思います。

そういう時間のつくりかたを、林浴(りんよく)と呼んでいます。

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